子育てブログ
「子供には内なる教師が住んでいる」
これは、モンテッソーリ教育という幼児教育法を確立したマリアモンテッソーリの言葉です。
マリアモンテッソーリは、子供は自ら育つ力を秘めた存在であり、この原動力を「内なる教師」と表現し、大人の仕事はこの内なる教師の邪魔をしないことである と述べています。
つまり、大人の役割は多くの知識を子供に与えることではなく、子供が自分の力を存分に発揮できる環境を準備し、子供の内なる教師の仕事を邪魔せずに見守ること です。
この言葉を知ってから息子の姿を観察すると、この言葉を実感する場面に出会いました。
身支度のたびに大騒ぎだった息子
以前の記事でも述べましたが、2歳頃の息子は思い通りにいかないことに遭遇した時の感情のコントロールが苦手でした。
特に、服を着る・脱ぐなどの身支度では、上手くいかずにむしゃくしゃし、機嫌が悪くなり泣き散らしてしまうこともしばしばでした。
そして見守るどころか私は「早くして」とせかし、時間がないからと代わりにやってしまうことも頻繁にありました。
子供が変わった
しかし、モンテッソーリ教育に出会いよく手を動かしながら知性を働かせる機会を得てからは、息子は「僕、できる!」とこちらが手伝おうとするのを阻止し、自分の力で身支度をやり遂げることができるようになりました。
そして、幼稚園の先生やまわりの大人にも「〇〇くんは、身支度が自分でしっかりできるし、丁寧だけど早いね」とよく言われるようになりました。
息子が実践したこと
自分の身支度を始めた2~3歳頃までは、手先を動かすことに慣れておらず、特にボタンやファスナーなど指先を使う動作はほとんどできませんでした。
そこで、身支度の練習をさせるのではなく自分で手先を存分に動かす機会を息子に与えたのです。
それは、シールを台紙から剥がして印に合わせて正確に貼ること、はさみを使って線に沿って1回切りの練習をすること、のりでぴったりと貼り合わせること、印に合わせて穴をあけること などです。
モンテッソーリ教育での「日常生活の練習」
これは、モンテッソーリ教育での日常生活の練習にあたります。
この分野の目的は、運動器官の完成です。
幼児期は大人のすることを自分もやってみたい!と真似をします。自分の力で何かをしたいという成長へのあこがれを持っているからです。
この幼少期に精いっぱいに身体を動かすことを努力する運動の敏感期を利用して、身体を意思通りにコントロールする能力を身に着けるための手助けがなされた環境が「日常生活の練習」の教材です。
正確なやり方を意識して繰り返し励んだ子供はやがて日常生活で自分のことが自分でできるようになり、自立に向けて大きな一歩を踏み出します。
日常生活の実践に繋がったシール貼り
息子が手先を動かして繰り返し行ったシール貼りは「日常生活の練習」になり、心と身体をひとつにして活動できる(動きながら学べる)機会となりました。
この機会で「自分で手先を動かすことで何かができる喜び」を知り、「もっとやりたい」という気持ちが育まれました。
そしてその気持ちを原動力にした息子は集中力が高く、その力は身支度で存分に発揮されるようになりました。
息子にもいた!内なる教師の存在
この集中している姿の中に、私は内なる教師の存在を感じました。
手先を動かすことに慣れた息子には「服を着なさい」と私がせかすことはなく、「自分の力で着たいんだ」という意思が強く、その意思のもと集中している時は自分で考え対応する力が発揮されています。
そして私の役割は、息子が集中して自分の力で取り掛かるための時間を確保することです。(=待つ、そして見守る。)
日常生活でどんどん力を発揮
また、息子は洗濯物をたたむことが得意です。
特にやってほしいとお願いしたり教えたことはありません。
しかし、自分から進んでたたみだし、そして私よりも丁寧にそしてぴったりとたたむのです。
それは、モンテッソーリ教育での日常生活の練習の中で、布巾を半分に折る動作を身に着けたことがきっかけでした。
中心を意識し、辺と辺を合わせる動作を繰り返し取り組む中で、「ぴったり!」という感覚が心地良く感じたようです。
そこから、自分から進んで「ぴったり」を探し、洗濯物をたたむという日常生活の実践に出会ったようです。